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宮崎 ぶり鶏 中尾工業

主要品種の栽培スケジュール

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ぶり鶏
ぶり鶏のたまご
ぶり鶏の餃子

Farmer Profile

中尾 勇一
(なかお ゆういち)

中尾 勇一

長年、地元宮崎県都城で建設業を営むも、趣味で飼っていた地鶏が知人や友人の間で人気となり、本格的に養鶏業へ転向し宮崎県産地鶏である“ぶり鶏”の生産を開始。山を切り開き、山林の中で地面を歩かせ、自然の草やエサを食べさせる昔ながらの自然飼育法で、地元でも稀少となった地鶏の飼育を行なっている。テレビや雑誌などでも頻繁に取り上げられるなど、全国各地にぶり鶏のファンを持つ。

鶏からも地域からも愛されるご夫婦

 地鶏で有名な宮崎県の南西に位置する都城市で、昔ながらの地鶏“ぶり鶏”を自然の中で愛情いっぱいに育てる中尾さんご夫妻。地鶏に対する愛情はもちろんのこと、どんな人にも明るく、親切に接せられるお二人は、地域でも評判となっているほど、素敵なお人柄が印象的な生産者さんです。そんなお二人に名物ぶり鶏の魅力についてお話を伺ってきました。

上村 聖季

担当:上村

宮崎 ぶり鶏 中尾工業

ーー中尾さんご夫妻が養鶏を始められてどれくらいになるのでしょうか?

勇一:もうかれこれ10年になりますね。その前は40年程、建設業を営んでいました。

ーーなぜ養鶏業をされようと思われたのでしょうか?

映子:主人が宮崎の地鶏を育てるのが趣味だったんですよ。たまたまテレビを見ていたらどこどこで売ってるって言われて、さっそく旦那が20羽買ってきたんですよ。こっちは田舎で土地が広いから、鶏を飼うことは珍しくはないんですけど、少し経つと、もうちょっとほしいって言って60匹ぐらいだったかな、数がどんどん増えていって・・・(笑)

勇一:鶏といっても私は地鶏が好きなんですよ。初めはそこの車庫で飼っていて、定期的に現場の仕事が終わると、社員みんなに焼いて振る舞っていたんですよ。すると社員の皆がこれは美味しい、美味しいってなって。

 ほしい人がどんどん増えてきて、じゃあ本格的にやってみようかということで地鶏の養鶏の仕事を始めたのがきっかけですね。そこからは本当に色々と苦労することばかりでしたが。

ーー建設業を辞めて養鶏業をやるとなったとき、奥さんはどういう気持ちだったのですか?

映子:大変だから反対しました(笑)

ーーいつ頃から奥さんの方でも養鶏業でやっていこうと思われたのですか?

映子:その後、さらに鶏の数も増えて、車庫では飼いきれないということになって、実家の方で飼っていたのですが、その時はすでに250羽くらいになっていました。

ーーどんどん増えていますね(笑)

映子:鶏の数が増えて、近所の人からうるさいって苦情を言われてしまって(笑)。そんなときに、たまたま山を貸してくださるという人がいて、そっちで飼えるように、山をゼロから開墾しなきゃいけないとなったんですよ。その頃ですね、これだけ主人がやりたいなら私も手伝おうって。

宮崎 ぶり鶏 中尾工業

ーーご主人の養鶏に対する熱意に負けた訳ですね。ただ、山を開墾するとなると大変だったのではないでしょうか?

映子:すごく大変でしたよ。木を切って、全部開墾したのですが、そのための道路なんかも一から作ったり、小屋を建てたりして。でも、そこは元々やっていた土木の仕事が活きましたね。

ーー今は何羽ぐらいの鶏を飼われているのでしょうか?

勇一:6千羽ほどですね。

ーー建設業のお仕事は続けられているのでしょうか?

勇一:養鶏に本格的に乗り出した10年前に建設業を辞めて、養鶏一本でやっています。

映子:養鶏場の山はここ(自宅)から車で30分くらいのところにあるのですが、昨年、フジテレビの「なるほどレストラン」という番組にも取り上げられて、有吉さんやいとうあさこさん達が取材に来てくれましたね。

宮崎 ぶり鶏 中尾工業

ーーぶり鶏について教えてください。

勇一:昔は、九州の庭先で飼われていた地鶏です。筋肉質ですが、肉質はやわらかく、あっさりとした味をしています。飼育が難しいことから、今では生産者がほとんどおらず、地元でも稀少な鶏になっています。

ーー中尾さんの飼育に対するこだわりについて教えてください。

勇一:こだわりは大きく三つあるのですが、一つ目として、自分達で切り開いた山林を歩き回らせ、昔ながらの自然飼育法で育てています。小鳥の声が聞こえる山の中で育てています。地面を走り回らせ、放し飼いにします。だから、筋肉がつき、おいしいお肉になるのです。

 二つ目に、地面の草を、自由に食べさせます。人間にとって野菜が体に良いのと同じで、鶏も草を食べるのは、体にいいのです。また、草と一緒に自然配合の・・・

自家製飼料を食べさせて育てています。飼料はかりんとうや、ぬか、広葉樹の炭など自然のものを独自につくって、鶏にとっても体に良いものを食べさせています。

 こだわりの三つ目として、ブロイラー(通常の鶏肉)の3倍、半年の期間をかけて、ゆっくり育てています。満腹でも無理やり太らせるブロイラー鶏とは違い、しっかりと運動をさせ、お腹がすいた時に餌を食べ、自然のサイクルで時間をかけて成長します。飼育に時間のかかる放し飼いのぶり鶏は、商売用には難しいと、生産者がほとんどいなくなりました。それだけ、手間がかかり、管理が難しいといえます。

ーー鶏の健康にこだわった飼育をされていることがすごく伝わってきます。

映子:鶏がまだヒヨコのときはゲンノショウコっていう生薬として人も飲むような薬草を沸かして、飲ませているんです。人にも良い薬草なので鶏にも良いだろうって。色々と試行錯誤しながらやってきましたが、この人はホントに鶏が好きなんですよ(笑)

勇一:エサについては、自然の質の良いものしか使っていないので、飼育小屋もフンのにおいがほとんどしませんので、山に見に来られる方は皆さん驚かれます。テレビの取材できたいとうあさこさんも、臭いがしないって驚かれていましたね(笑)

ーー一昔前に鳥インフルエンザなどが流行りましたが、養鶏はそうした病気等への対策も大変なのではないでしょうか?

勇一:狭いゲージで飼育されているブロイラーの場合は、ウィルスにも感染し易いですし、ウィルスが感染し易いような環境になっています。でもうちの鶏は、育て方が違うので、鶏の持つ抗体もブロイラーなどとは比べ物にならないくらい強いんですよ。

映子:平飼いは平飼いでも普通、セメントでできた建物の中の平場もありますよね。でもうちの場合は、完全に土の地面を踏ませて、自然の中で生育しています。

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ーー養鶏を始められて大変だったことについて教えてください。

映子:お店をオープンした際に、ありがたいことに沢山のお客さんがお店に来てくれたリ、注文を入れてくれたんですよ。でも予想以上に注文が来て、普通の鶏は飼育期間が50日くらいなので、2ヶ月弱の期間で出荷できるのですが、うちの場合は、飼育期間が半年なので、開店当初の需要を満たすことができずにとても苦労しました。

ーー農作物もそうですが、生き物を相手にする仕事なので、需給の調整は大変ですよね。

映子:そのことがあったので、鶏の数を一気に増やしたのですが、今度は逆に鶏が余ってしまって・・・。当時は生肉として販売していたのですが、その時にひらめいたのが、炭火焼をお土産用に作ろうということで、作った炭火焼を真空パックに詰めれば美味しさを保ったまま長持ちするねって。

 お肉だけじゃなくて、卵も毎日山のように生むので、卵で事務所が・・・

いっぱいになったこともありました。とにかく人が来たら1ケースずつあげていたんですよ。持って帰ってって言って(笑)。

 このままじゃいけないと思って、その時にまた、ひらめいて。煮卵を作ろうって、煮卵を作って、それが美味しいって評判になって、おかげさまで、今はもう卵が足りないくらいになっています。

勇一:やっぱり一番大変なのは、人間と一緒で、鶏たちの健康状態を常に良い状態で保ってあげることですね。もう毎日鶏の健康のことを考えているので(笑)、朝5時頃に一人で起きて、鳥の顔を見に行くというのが日課になっています。

ーー毎朝5時というのはすごいですね。

勇一:やっぱり神様がつくった生き物を相手にする仕事なので。今は心配することが当たり前になっているので、それほど自分の中で苦労しているという意識はないのですが。

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ーー奥さんにとって、養鶏の仕事の魅力とはどのようなところでしょうか?

映子:本当に単純で、人が食べておいしいって言ってくださるのが一番ですね。例えば、うちの手羽先やチューリップ(唐揚げ)なんかは本当に美味しいって言ってくれる人が多くて、お祭りなどでも人気があります。

 あとは、お店に来店してくれる人たちとの関係づくりも今の仕事の魅力だと思います。今は消費者の方もスーパーなどで食材を買われることが多いと思うので、こういう一対一の対面販売って中々ないじゃないですか。

 常連のお客さんの中にはお年寄りの方も多くて。わざわざお店まで来てくれるのですが、体調などが悪そうだったら、大丈夫ですかって電話を入れたりするんですよ。お客さんの中には、「なんか奥さんと話してたら元気が出る」って言ってくださる方もいて、心掛けていることは、自分達は決してつらいことは見せないようにしています。そこは主人も同じですね。

ーーご主人は地域の方々からすごく人気がある方だと伺いました。

映子:おばちゃんやちっちゃい子たちにも大人気ですね。すごく色々なことでこれまでに苦労していることもあるし、元々人が好きな性格なんだと思います。山から家に帰る途中に一軒、年配のおばあちゃんが住んでる家があるんですよ。そこの人が、毎日主人が帰るのを待ってらっしゃるんですよ。今日は遅いねとか言って、おかずを渡してくれたりね。

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ーー今後、今の養鶏をどういう風にしていきたいという目標みたいなものはありますか?

勇一:うちは子どもが早くに亡くなってしまっているので、養鶏をどのように残していくかは重要なことだと思っています。やっぱり生き物を扱っている仕事なので、今日で終わり、みたいに辞めることはやっぱりできないじゃないですか。辞める場合にも徐々に数を減らしていくとか、そういう風にしていかないといけないので。

ーー後継者の問題については、今は沢山の農家さんが抱えられている問題ですが、畜産と農作物による違いはそういう部分では大きいかもしれませんね。

映子:以前、お得意さんだった方が、一緒に(養鶏を)しようかって言って下さったことがあったんですよ。ただ、その方が養鶏を一緒にする前に体調を崩されて、結果的には一緒にやってもらうことができなくなったこともありました。

ーー中尾さんご夫婦は本当にお互いが信頼し合う素晴らしいご夫婦だと感じたのですが、おふたりはどのように知り合われたのでしょうか?

映子:どうも小学校は一緒だったらしいんですよ(笑)。主人の方が一つ上なんです。通学の道も同じ道を通って学校に通っていたみたいなんですが、結局大人になるまでお互いのことは知りませんでした。でもお互いの兄弟はそれぞれを知っていたので、本当に私達だけがお互い知らなかったということになりますね(笑)

ーーそんなに近いところで過ごされていたのですね!(笑) お互いが知り合われたのはおいくつの頃だったのでしょうか?

映子:二十歳の頃ですね。

勇一:村の青年団に二人が所属していたことがきっかけでした。青年団っていうのは、今の若い人は知らないかもしれないですが、地域のお祭りの準備だとか、老人ホームの慰安に行ったり、そうした活動をしていました。

ーー地元の青年団でお互い知り合われて、奥さんは旦那さんのどのようなところに惹かれたのでしょうか?

映子:どこですかね。でも主人は昔からしょっちゅう冗談ばかり言っていて、そういうユニークなところですかねぇ。

勇一:結婚したのが22歳くらいだから。それから本当に色々苦労がありましたね。当時は、土木の免許を取って、建設関係の仕事をしていたのですが、私の場合、建設業から畜産の仕事に切り替えて、今となってはみんな先見の名があるねぇって言って来るんですよ。ご存知の通り、建設業は、今はどこもすごく厳しいですからね。

 でもそれって先見の明じゃなくて、ただ個人的に鶏を育てるのが好きで、楽しかっただけなんですよ(笑)

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ーー奥さんからすると、建設のお仕事のときと養鶏のお仕事のときとでは、どちらが大変でしょうか?

映子:断然今の方が大変ですね(笑)。今は自分も関わることが沢山あるので。

ーー生き物や自然を相手にする農業は本当に大変な仕事だと思うのですが、奥さんはすごく明るいですよね。

映子:明るいですよ。いつも前向きです。これは農家をやっていた母の影響だと思います。

ーー私達もこれまで沢山の生産者さんにお会いさせて頂きましたが、皆さん本当に前向きで明るい方が多いです。それはなぜなのでしょうか?

映子:土や生き物に触れているからじゃないでしょうか。みんな高齢になっても一般の人と比べるととても元気ですし。前向きなのは、やっぱり自然と対峙しているからだと思います。農業って本当に色々なことが起きるので、いちいち落ち込んでなんかいられませんよ(笑)

映子:あと、私は子どもを早く亡くしてしまったことなどもあり、先祖をすごく大切にしています。お客さんと接するときも、その方のご先祖様の成仏を願って、いつもありがとうございますって言うようにしていますし、料理するときも、食材に対して、みんなに美味しく食べてもらってねって言ったりして。だから鶏をさばくときも、そんな風に「美味しく食べてもらいなさいね」って言っています。

ーー常に感謝の気持ちを忘れないということですね。私達は、toriiiを通じて、ただこだわりの食材をお客さんにご提供するのではなく、そうした生産者さんがお持ちになられている物事への感謝の気持ちや考え方を一緒にお客さんへ伝えたいという想いがあります。

勇一:よく分かります。建設業をしていたときは、仕事を取ったり取られたりの世界だったでしょ。誠実に仕事はしていたつもりですが、やっぱり何かギスギスするものもあったんです。

 でも今の仕事(養鶏)をするようになって、人を妬む気持ちとか、人の好き嫌いとか、そういう心の汚い部分がなくなったような気がしています。

映子:何事も周りの人やもの、自然があってのことですからね。人の助けがないと何にもできないと思いますし、それはいくつになっても一緒だと思います。

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ーー中尾さんにとってご自身で飼われているぶり鶏は、どういう存在でしょうか?

勇一:本当に重要な存在ですね。やっぱり自分がずっと好きだったから、鶏たちに対しても愛情を込められますよね。平飼いで育てて、毎日接しているとやっぱり分かるようになりますね。「今日はお前、気分が悪そうやね」とか。

 手間をかけたらかけた分だけ、鶏たちも返してくれるので。その分、もちろん飼育のためのコストも高くはなってしまうのですが。

ーー自然食のエサにこだわられ、山で平飼いをされていると伺うだけでも、一般的なゲージでの飼育とのコストの違いも相当大きなものなのではないかと思います。

勇一:そうですね。その分、やっぱり普通の鶏と比べて値段は高くはなってしまうのですが、伝統的な地鶏を、出来るだけ健康的に育ててお客さんに美味しく食べて頂くためには、そうした部分を知ってもらったり、実際に食べてもらったりしてお客さんに理解して頂けると嬉しいですね。

ーー中尾さんが消費者の方へ伝えたいことはありますか?

勇一:とにかく一度食べてみてほしいという気持ちだけですね。

 やっぱり今はインスタント食品だとか、食品添加物などが溢れていますよね。食肉についても、わるい言い方をすると、とにかく薬を使ってぶくぶく太らせるわけなんですよ。そんな中で、出来るだけ健康な食品を食べてほしいという想いが強いです。

ーー中尾さんが大切にされている価値観やポリシーなどがあれば教えてください。

勇一:やっぱり、人との触れ合いですね。どれだけ自分がキツかろうが、人との繋がりは一番大切にしています。

ーー中尾さんが人との繋がりを大切にされる理由について教えてください。

勇一:まぁ過去のいろいろな経験っていうんですかね。会社を自分でやってきて、人が自分から去っていくことや、失敗の経験も沢山したので。人は良いときはどんどん寄って来るんですよね。そんな中で、特に苦しかった時期に側に残ってくれた人たちのお陰で、今の自分があると言えるので。

ーー私達も小さいながら会社を立ち上げて活動しているので、中尾さんの仰ることがよく分かります。