1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
あんず | ||||||||||||
ズッキーニ | ||||||||||||
じゃがいも | ||||||||||||
トマト | ||||||||||||
なす | ||||||||||||
パプリカ | ||||||||||||
にんにく | ||||||||||||
かぼちゃ |
新津 雄大
(にいつ ゆうた)
1976年生まれ。山梨県出身。物心ついたときから自然と植物に興味を持ち、中学生のときから野菜やくだもの、薔薇の栽培を行なう。薔薇の切り花を扱う会社に入社し、主に生産部門で薔薇の栽培に携わるも、自分のこだわりに合った農業を志し、退社を決意。地元の山梨にて新規就農し、野菜やくだものを栽培している。モットーは、「仕事は楽しく!」
小さい頃から自然と植物をこよなく愛してきた新津さん。「農業は究極のエンターテイメント、そして自分を輝かせてくれるもの」という言葉の通り、その穏やかでやさしい人柄の中で、農業に対する熱い想いを秘められた生産者さん。そんな新津さんに、これまでの経験と農業に対する想いを熱く語って頂きました。
担当:高島
ーー農業という仕事を選んだ理由は何ですか?
元々、物心ついた頃から自然や植物を育てることにすごく興味があったんですよ。本当にその延長線上で自然と農家になったというか。
昔、5歳か6歳くらいの頃に給食で食べたスイカの種を家に持って帰ったんですよ。それを植えたらある程度の大きさのスイカが出来たんですよ。その感動を今でも鮮明に覚えていますね。
それ以来、植物を育てることの面白さにハマっっちゃって。そういうこと・・・
もあって、自分の中では農業に関わる仕事以外はあまり考えられなかったという感じですね。
ーー新津さんにとって植物を育てる魅力とはどういうところなのでしょうか?
こんな小さな種や苗が大きくなって、花が咲いて、実がなって、なおかつ食べたときにすごく美味しいという一連の過程すべてが自分にとっては楽しいですね。
そして、収穫したものを人に食べてもらって、その人が喜んでくれるその笑顔だとかが自分の喜びにもなりますし、そういう栽培の魅力を小さい頃からずっと感じていました。
ーーこちらで農業を始められる前はどのようなお仕事をされていたのですか?
僕はバラを栽培するのが中学生の頃からすごく好きで、その流れで、就職も最初はバラの切り花を扱う会社に入りました。
ーー中学生の頃からバラを育てられていたんですか!?
はい。中学校のときからです。
ーー周りにバラ好きのお友達はいたのですか?
もちろん・・・
いないですね。バラどころか、植物を育てるのが好きという友だちも一人もいなかったですからね(笑)
ーー脱線してすいません。会社の話に戻りましょう。
会社では生産部門のスタッフとして働いたんですが、生産場所が(静岡県)御殿場の山の中にあって、そこでバラを育てて、栽培した花をカットして、都内の花屋さんに卸していました。
ただ、ここでもバラの切り花を扱う会社なのに、職場の人でバラが好きって人がいなかったんですよ・・・(笑)
上司もその道20年くらいのキャリアの人だったんですが、ちょっと失礼なんですけど、僕の方がバラについて知ってたんですよ。まぁ、子どもの頃からずっとバラをやってたんで。それは上司も認めてました。入社した時から会社で作っているバラの品種ほとんど知っていましたからね。
ーーほとんど知ってたんですね(笑)。でもバラを扱う会社でバラ好きがいないのはたしかにきついですね・・・
1人でもバラや植物がすごく好きって人がいれば違ったのかもしれないんですけど、誰もいなかったんですよね。
ーーそこでは何年くらい働かれていたのですか?
7年程働いていました。20代の大半はそこで過ごしましたね。ずっと御殿場の山の中で。周りにいたのは自衛隊ぐらいでした(笑)
ーー会社を離れられたのはどのような理由からだったのでしょうか?
その会社では、僕なりにはバラのいろいろな発見とかもあったので、良い経験ではあったと思います。ただ、やっぱりやっていく中で、自分でこういう風に育てたいとか、こういうことをやってみたいとかがあったのですが、会社の方針と異なることは一切出来ない状況に不自由さを感じていたんですね。
自然や植物、バラが好きな人も職場にいなかったこともあって、この職場にずっと自分がいるのかって考えたときに、将来の姿が想像できなかったのが会社を離れて自分でやってみようと思った大きな理由ですね。
ーー会社を退職後、山梨へ戻ってこられたのでしょうか?
バラの花を作りたくて元々御殿場の職場を希望したんですけど、初めて地元から外に出て、やっぱり山梨って良いなって思いました。やっぱり生まれ育った土地の方が良い。山梨で自分で農業をやりたいなって思いました。
ーー外に出てみて、地元の良さに気づくというのはよく分かります。
あとは、山梨って雪もそんなに降らないし、寒いと言ってもそんなに極端じゃないんですよ。気候的には・・・
他の県と比べても農業をする土地としては恵まれていると思いますね。
ただ、個人的には人の集まる東京のような大都市も嫌いではなくて、将来的には農業を通して、農村と都市を繋ぐ文化交流じゃないですけど、この自然豊かなアルプス市にしかない素晴らしい農作物を都会へ、都会からは都会でしか生まれない文化みたいなものをこちらに持ち込みたいなっていう想いはありますね。
ーー新津さんが目指されているのはどのような農業でしょうか?
まずは大前提として、生活のためにただ作物を毎年栽培して売るというような、生活の糧という位置づけの農業ではなくて、農業を通して他の人や社会に対して良い影響を与えられるような農業にしていきたいという想いはありますね。
小さい頃から近所のぶどうやスモモ農園などを見てきたのですが、小さいながらに感じていたのは、流通に乗せやすい作物を作って、生産者が農協や市場に出荷して全てがおしまいというようなスタイルの農業ではなく、自分は将来、直接消費者と繋がって、一般的には市場に出回らないけれどもすごく魅力的な品種を作って、消費者の方々へそんな作物たちを紹介していきたい、そういう想いが昔からありました。
ーー今後、農業が今よりも発展していくためには重要な要素ですね。
農業って今までは、泥にも汚れるし、キツいし、安定しない仕事として、お世辞にも人気のある仕事とは言えなかったと思うんですが、今は若い人も結構増えてきていて、農業に対するそうした見方も変わってきているように感じていますね。
そういう意味では、他の産業に比べるとまだまだ改善や発展の余地はあるかと思いますが、すごく良い流れになってきてるんじゃないかなと思っています。
ーー肥料はどのようなものを使われているのでしょうか。
肥料は有機肥料を自分で作っています。こだわりとしては、鶏糞や牛糞などの動物性肥料は使わずに、米ぬかや油かすなど、植物由来の原料のみを使っています。
ーー動物性肥料を使われない理由はあるのでしょうか?
動物性肥料は昔は良かったかもしれないんですけど、今は食べさせている飼料が抗生物質やホルモン剤などが入ってしまっている場合が多いので。今は有機肥料を作って使用しています。
昔、一度だけ周りの農家さんの勧めもあって、自分も鶏糞や牛糞を使ったことがあったのですが、畑にすぐに虫や病気が蔓延してしまって、それ以来動物糞などの肥料は使用していません。
あとは、アカシヤの花の蜜と黒砂糖を混ぜたものを水で薄めて植物に散布したり、水の綺麗な近くの川辺から春によもぎを取ってきて、そこから抽出したエキスを植物に与えてあげることで、植物が元気になり、病害虫にも強くなるんですよ。
地域の自然のものを活用して作物の成長を手助けするというやり方が自分の栽培スタイルですね。
ーー新津さんが営農を行なう上で心掛けていることなどはありますか?
やっぱり、消費者の方にとって魅力ある農作物を作っていくっていうのがすごく大切だと思っていて、そういうものを作れる農業をしないといけないなと常に考えていますね。
ーー”魅力ある農作物”ですか。
僕にはその昔、横浜のバラの会に所属していたときに知り合った恩師と呼べる人がいて・・・
その方は、2年くらい前に亡くなってしまったんですけど、とある外資系の企業の副社長を務められていた方で、ものすごい人格者でした。
その人から経済やビジネスのことなど、本当に色んなことを教えてもらったんですが、僕が農業やりたいということを相談したときに、その方からとにかく言われたのは、「質も品種も、八百屋で売ってるようなものを作ってちゃだめだよ」って。
「満足させて当たり前。”感動”させるぐらいのものを作らないとだめだ」って。これだったらいくら出しても買うよみたいな、そういうのを作らないとダメだということを言われたんですね。それが今でも僕の営農の軸になっているんですよ。
ーー消費者の方へ伝えたいことなどありますか?
僕は出来れば一般にはあまり流通していないんだけど、実はとても美味しいっていうような品目や品種の野菜、くだものを育てて、紹介していければなと思っているので、ぜひそうしたこだわりの食材を一度食べてもらいたいなと思っています。
例えば、今僕がつくっている杏(あんず)なんですが・・・
周りの農家さんからは「杏なんてつくっても売れないよ」とかって言われるんですけど、自分にとっては杏ってすごく魅力的なくだものなので。損得勘定ではなく、あまり一般的ではない杏の美味しさを消費者の方に少しでも知ってもらえればなと思っているんですよね。
そんなこだわりの杏をお客さんに出してみたら、お客さんから「杏ってすごい美味しいんですね!」って言われたりして。自分がいいなって思ったものを、少しでも食べてもらった方に共感してもらえれば、自分にとってはこんなうれしいことはないですね。
ーー新津さんとお話させて頂くと、農業という仕事が本当に好きだとう熱い気持ちが伝わってきます!
前の会社では、中々こういう話もできなかったんですよ(笑)。みんな給料のために働いているだけで、言われたことをただ淡々とやるという人が多かったので。
なのでこうやって同年代の方と農業や食について熱く語り合えるってすごく楽しいんですよ。長年こうやって地道に続けてくれば良いこともあるんだなと思って。
ーーそんな、恐縮です(笑)。
やっぱり農業という業界でやってきて、作物が上手く育つ、育たないというのは、自然の采配なのでしかたのない事だとは思うのですが、それよりも、自分の伝えたいことが同僚や周りの生産者さんに全然理解してもらえないときが一番辛いんですよね。
ーー新津さんのように真摯に自然や作物と向き合われている生産者さんには、必ず良き理解者が現れていくと思います!
自分自身も相手に上手く伝えていけるように努力していきたいと思います。
ーー過去に最も苦労したことは何ですか?
山梨に戻ってきたあとの土地探しですね。中々畑をさせてもらえるような土地を借りることができなくて。農業をしたいという想いが強かっただけに、その農業をはじめる場所が決まらなかったのは辛かったですね。
そんなときに農家で同級生だった友人が畑を紹介してくれて、彼のおかげで無事就農することができました。
あとのことはそんなに苦労・・・
したと思ったことはないですね。農作業そのものは大変な部分はありますけど、苦労っていうよりはこういう作物をつくりたいから今の大変さもあるんだなみたいな感じで、逆に楽しみでもあります。
ーー本当に農業が好きじゃないとそうは思えないですね。
楽しいことをやるっていうのは、大変さも苦じゃなくなると思うんですよ。同じことでも義務的にやっていると感じ方は全然違っていて。そういう意味でも、農業を生活の糧を得るためだけにやっている農家はつらいと思うんですよね。
僕の場合は、そもそも植物を育てること自体が楽しくてしょうがないというのと、例えばマルシェなんかに行った時に、自分の作物を買ってくれた人がすごく喜んでくれたりすると、農作業をしていてもいろんな人の顔が浮かんできてすごく楽しくなるんですよね。